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柿の木便り
ヘルスリテラシーの向上が、女性が活躍できる社会をつくる(前編)
生理、PMS、出産、更年期……。個人差はあるものの女性には、日々の生活、年齢を重ねる中で、心とカラダが揺らぐタイミングがあります。でも、男性と同じ環境で働く中で、見過ごさざるを得ないことも。
「女性に関するヘルスリテラシーの高さが、仕事のパフォーマンスの高さに関連する」
2018年、日本医療政策機構の女性の健康プロジェクトチームがこんな提言をしました。
ヘルスリテラシーってどんなもの? 女性自身、そして社会は、どうやってヘルスリテラシーを向上させていけばいいの?
8年間の助産師、イギリス留学を経て、日本医療政策機構で「働く女性の健康増進」をテーマに調査・政策提言をする今村優子さんと考えていきます。
女性が「自分で産む」意識を持って出産を迎えられるように
−今村さんは、8年間助産師をされて、その後イギリスに留学。帰国して、現場に戻るのではなく、現在の職場で調査研究や政策提言をするという選択をした経緯と背景にある想いはどんなものですか?
今村: 助産コースで学んでいた頃から、助産師として10年くらい経験を積んだら、留学しようと思っていました。その頃から、出産や自分のカラダにまつわることを自分で選んで決めることができない女性たちが少なくないと感じていたのですが、その想いは現場で働き始めてより強くなりました。
というのも、妊婦さんの中には、出産がどのように進んでいくのか、自分がどのように産むのかを全く知らないまま出産当日を迎えるという人も少なからずいたんですね。中目黒にある育良クリニックに勤めていたときには、女性が自分のカラダのことをちゃんと知って、「自分で産む」という意識を持って出産を迎えるための取り組みに力を入れていました。
−それは、具体的にはどんなことをされていたのでしょう?
今村: 出産直前の妊婦さんを対象としたクラスを立ち上げました。「産むぞクラス」という名称にし、自宅で陣痛が始まったときの過ごし方、病院に入院してからの過ごし方、出産時の3シーンの劇を演じたり、出産するときに自分のカラダがどうなっているかを知るために「リアルパンツ」を使って説明したりしました。最後に陣痛中の妊婦さんたちや寄り添ってマッサージするパートナー、出産シーン、出産直後のたくさんの夫婦の笑顔と生まれたばかりの赤ちゃんの写真をまとめた動画を流して終わる2時間のクラス。いよいよ近づく出産に向けて、みんなで笑って、最後は感動して泣く人も多い思い出に残るクラスでした。実際にクラスを始めてから前後比較調査も実施したのですが、妊婦さんたちの意識が変わって、陣痛促進剤等の医療介入が必要なケースが減り、スムーズな出産が増えたと現場の医師も助産師も実感していました。
−「自分で産む」という意識を持つだけで、出産も変わるんですね!
今村: 「自分で産む」という意識を持つこと、そして出産の流れを知っていることが大切です。出産時に自分のカラダで起きていることを知って出産に臨むのと知らないまま出産の臨むのとでは妊婦さん自身の不安の大きさも異なりますし、陣痛中の過ごし方も大きく変わります。育良クリニックは、不必要なタイミングで陣痛促進剤を使用して陣痛を促したり、必要がない人にまで会陰切開をしたりといった、不必要な医療介入はしない、助産師主導で「待つお産」をする産院です。痛みがあるときに、妊婦さんが自分のカラダと出産の流れを理解して、リラックスして過ごせるかどうかが出産の進みにも影響してくるんですね。
育良クリニックでの経験から、女性自身だけでなく、社会全体の女性の健康に対する意識を変えていきたいと思い、「公衆衛生」を学ぶために、イギリスに留学しました。
女性が産む場所と方法を選ぶ、イギリスのお産事情
−留学先として選ばれたイギリスではどんなお産がなされているのですか?日本との違いはどこにあるのでしょう?
今村: イギリスはNHS(National Health Service)と言って、政府が運営する医療保険サービスによって、病院も成り立っています。国が運営しているので、どんな人も原則無料で受診できます。
そのNHSのWEBサイトでは、妊婦さんに向けて4つの出産の選択肢が示されます。1つ目はハイリスク分娩や無痛分娩を取り扱う産科病棟での出産。産科医と助産師がケアにあたります。2つ目は病院内に併設する助産所での出産、3つ目は病院からは離れた場所にあるNHSの病院に付属した助産所での出産、4つ目が自宅出産。それぞれのリスクをちゃんと説明した上で、妊婦さんに「あなたはどの産み方を選びますか?」と問いかけます。病院の中にもプールがあって、水中出産も選択できますし。
日本は、知識がある人は選べるかもしれませんが、まだまだ誰もが当たり前のように産み方を選べる状況にはないですよね。
−たしかに、里帰り出産だから実家の近くの病院でとか、施設がキレイだからとか……。産み方とそのリスクまでちゃんと知った上で考えて、産む場所を選択できていない気はします。
イギリスといえば、キャサリン妃が出産して日帰りで自宅へ戻って行った報道に衝撃を受けた記憶があります。これはロイヤルファミリーならではの特別な事例なのでしょうか?
今村: キャサリン妃は安産だったとは思いますが、イギリスでは産後1日で自宅に戻ることが一般的です。1つの病院で年間1万件くらいの出産があるので病室の事情もあるかもしれませんが、妊婦さんも自宅の方がリラックスできるし、助産師が産後、定期的に訪問するので安心して退院できるんですね。イギリスでは、出産翌日から10日間毎日助産師が自宅に訪問して、産後28日 までしっかりフォローします。そこで沐浴の指導もします。
−へえ。産後、育児に慣れないまま退院して助産師さんと離れることがすごく心細かったことを覚えています。沐浴も病院と自宅の環境も違いますし。助産師さんが定期的に自宅に来てくれるのは心強いですね。
助産師主導で、出産する女性を社会の中でケアしていく
今村: イギリスでは、妊婦健診から出産、産後まで、病院であっても特に問題がなければ、助産師が主導で女性たちのケアにあたります。医師が介入するのは、無痛分娩や異常がある場合のみで、通常の自然分娩には立ち会いません。
日本でも、法律上では助産師が独立してできますが、まだまだ助産師主導の出産は一般的ではないですよね。病院やクリニックによっても方針が違います。
イギリスで「日本で助産師をしていた」と言うと、「素晴らしい仕事だね。私たちは助産師を信頼しているよ」という感じで讃えられて、社会の認識の違いも感じました。
−イギリスで今村さんはどんなことを研究されたんですか?
今村: シェフィールド大学の修士課程で公衆衛生を学び、なぜイギリスでは医師と協働して助産師主導の出産が国レベルでなされているのかをテーマに、修士論文を書きました。アンケート調査とインタビューを実施したのですが、「自然分娩は僕たちの仕事じゃない」と言い切る医師が多かったのが印象的でした。本当に医師の助産師への信頼が厚く、いい連携が取れています。
出産は、異常時以外は医療介入の必要はなく、女性が出産の方法や場所を選んで、自己管理ができるように、助産師が、産前産後も含めて女性をケアしていくこと。そういった内容が、科学的根拠のある研究結果に基づいて、ガイドラインに盛り込まれています。だから、助産師にも医師にも、女性にも、社会の中で、その認識が当たり前にあるんですよね。
text by 徳 留里香 photo by 根津 千尋
今村優子さん
日本医療政策機構マネージャー
総合周産期母子医療センター愛育病院、育良クリニック等にて、助産師として8年間、妊娠期・分娩期・産褥期の多くの女性のケアにあたる。臨床経験を通じ、女性の妊娠や出産に関する国レベルの政策策定を学ぶ必要性を感じ、イギリスへ留学。シェフィールド大学にて公衆衛生学修士課程修了(MPH: Master of Public Health)。大学院卒業後、2017年2月より日本医療政策機構に参画。また、日本医療政策機構以外にも、日本助産師会の国際委員会委員、大学の非常勤講師、自治体での育児相談、クリニックでのオンライン両親学級等を行っている。2018年度 第22回村松志保子助産師顕彰会 精励賞受賞。