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柿の木便り
個人の痛みや苦しみを“なかったこと”にせず、社会の中で循環させていく
心とカラダ、仕事と暮らし、社会と自分。今を生きるあの人は、なにを軸にして、どんなやり方で“バランス”を保っているのだろう。気になる女性に「わたしのバランス」について聞く連載。
今回お話を聞いたのは、不妊、産む、産まないに向き合うすべての女性たちへ、未来をともに育むメディア「UMU」を運営するライフサカス代表の西部沙緒里さん。
UMUは、不妊治療や死産など、命を生み出す過程で痛みを抱え葛藤した女性とその家族のリアルな物語を紡ぎだし、同じ壁に直面する当事者に、社会に、伝え続けています。
可視化されない苦しみを抱える人が、社会の中で活かされていない
UMU誕生の芽は、沙緒里さんが36歳の頃、乳がんの宣告を受けたことにありました。
「当時は広告代理店に勤めていて、仕事にもやりがいを感じながら社会にいろいろ仕掛けている最中、青天の霹靂で。自分が30代半ばでがんになるなんてまったく想像していなかったので、いきなりリセットボタンを押された感じで、すべてが強制終了してしまう恐怖がありました。
当時の私は“乳がん”という病名を口にすることにも抵抗があって、とても理解のある職場だったものの、それでも直属の上司以外には言えなくて。治療のために仕事を休まないといけなかったので、組織の中でどんどん居場所がなくなって、自分が透明になっていくような感覚でした」
さらに、乳がんの治療の山場を超えた頃、医師から、身体の状態や年齢など総合的に考慮すると「妊娠できる可能性は10%以下」だと伝えられます。33歳で結婚して以来、いつかは子どもを授かる未来を当たり前に描いていた沙緒里さんは、ショックを受けると同時に焦りを感じ、闘病と並行して不妊治療をスタート。
(闘病を支えてくれたお守り)
「これがもう、本当につらくて。がんの闘病で仕事を休んでいたので、これ以上迷惑はかけられないと不妊治療のことは会社には言えず……。通算1年くらい、会社勤めをしながら闘病と不妊治療をしていたんですが、途中から、こんなに大変でいいのかな?誰かが変えないといけないんじゃないの?って思うようになりました。
すごく孤独だし、仕事にかけられるエネルギーがすべて剥ぎ取られてしまうようで。同時に、今の自分の状態の様に、可視化されない苦しみを抱えてしまっていることで、本来の力を発揮できず社会の中で活かされていない人が実はたくさんいるのかもしれない、と感じたんです」
同じように声をあげることができない“生きづらさ”を抱えている人がいるんじゃないかーー。そんな疑問を抱いた沙緒里さんは、友人に声をかけるところから始めて、積極的に不妊治療を経験した人の声に耳を傾けるように。
「自ら声をあげてみたら、こんなに不妊治療をしている人がいるの!?って驚くほど身近に経験者がいて。私だけじゃなかったんだ、もっと早く話せばよかったと。共感することで孤独を軽減することができたと同時に、苦しんでいる人がたくさんいること、対して社会のサポートがなさすぎる現状が浮き彫りになった。その気づきが、同様に原体験を持つ仲間たちとの会社創業、UMUの運営につながっていったんです」
健康づくりとは、“生きる希望”をつくり続けること
「いま、暗闇にいる人のために、世界の見え方を、ちょっとだけ変えてみせよう。それでも笑って越えていこうという、生きる希望になろう──」
38歳の頃に創業した会社、ライフサカスのスローガンとして掲げた言葉。これは、沙緒里さん自身の人生を描いていくうえでの指針でもありました。
「一般的に見れば、私は病歴もあるし、がんというリスク因子を持っているし、会社も辞めずに石橋を叩いて渡っていったほうがいいのかもしれない。だけど私は、正社員を手放して起業して、真逆の人生を選んだ。無難な人生よりも、ネガティブなことも含めて、喜怒哀楽を味わい尽くすような、彩りの多い人生を歩みたいと思っているんですよね。そうやって生きることが、私にとっての健康、ウィルビーイング*なんです。
私が事業としても手がけている“健康づくり”って、生きたいって思う希望をつくり続けることだと考えているんですね。病気がない、物理的なカラダの不具合がない状態であること、もちろんそれも大切なことです。でもそれ以上に、生きる希望をつくり続けて、自分を生き切ることが健康の本質だと」
女性ホルモンに由来する癌種であるため、沙緒里さんにとって妊娠出産は乳がん再発のリスクを伴うものでもありました。それでも、不妊治療を経て、第一子、第二子を授かり、「産む」選択をした。そこには、自分にとっての健康=生きる希望があったから。
「再発のリスクも頭の片隅にはずっとあって。高齢出産でもあるので、我が子の成長を長く見届けられる保証もないし、不安もありました。でもよく考えたら、将来安心安泰って保証は誰にもないんですよね。がんも二人に一人が罹ると言われている病気で、自分の細胞が変異してなるもので。自分の体の中にあるもの、ともに生きていくものだと思ったら、吹っ切れちゃいました。再発リスクを恐れて諦めるよりも、二人の子どもを産み育てる、自分にとっての生きる希望を選ぼうって」
*ウェルビーイング「(well-being)……身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉。WHO(世界保健機関)は「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」と定義しています。
パートナーと「公私交代」で、お互いのセーフティネットを築く
ライフサカスでは、「働く女性の健康支援」をテーマにした企業や自治体、学校などでの研修やアドバイザリー、個人メンタリングも行なっています。30〜40代前後の女性を前に話をすることが多いという沙緒里さんは健康管理に対して、よくかける言葉があると言います。
「私たちの心身は変化に抗えないから、変化していくことを前提に人生を楽しもうね。その一方で、同時にセーフティネットを築いておく。その備えがあるからこそ、挑戦できるし、変わり続けることができるよって」
そして、ふっと一息やわらかな表情を見せ、「私にとってのセーフティネットは、夫かもしれない」と言葉をつなげます。
「6歳年下の夫は私ががんになったときは29歳で、私以上にリアリティがなかったと思う。でも、宣告から3日後に、私の病気や治療方針に関する計26ページのリサーチ資料をつくってきたんです。家族に最悪の事態が起きたとしても、立ち止まることなく淡々と未来を見据えて、できることから行動に変えていく。終始そういう人なんですよ。正直、渦中にいたときはなに冷静に言ってるの!?ってイラついたけど(笑)、結局いつも彼のそのスタンスに救われているんですよね。自分と対極の人で、現実がどうなろうと、この人はこの人、私は私で本質は変わらないんだって。
その一方で、相手や環境が変わっていくことも拒絶しない。変わり続けることにYESを出して、肯定的に受け止める。お互いに想定外のことや変化を、一緒にある意味楽しんでいける。そういう彼の存在が、私にとってのセーフティネットなんだと思います」
共働きで家事育児もするパートナーであるふたりには「公私交代」という合言葉があると言います。
「夫婦のうち、仕事でどちらかが攻めたいときは、家庭はどちらかが守る。一人で仕事と育児のバランスを取ろうとせず、ふたりで取ればいいんじゃないって。人間、揺らぎがあるからずっとは攻め続けられないし、休むときも必要。私がもっと、最前線でバリバリ働いて叶えたいものがあるステージになったら、夫は専業主夫になると割と本気で言っています。女だから、男だから、ではなく、人間として頑張るときは頑張る。相手が頑張れないときは、無理のない範囲で、踏ん張る。うちはそんな感じでやっています。
とはいえ、私はやりたいことはあっても、今は産後で体が思うように動かないこともあるし、完全にイーブンにはできないので、フラストレーションが溜まることももちろんありますが。たぶんまだ、アクセルを踏み切る準備が整っていないんだと思う。なので、そんな自分も許してあげて、疲れたときは寝て建設的に思考停止して、ちゃんと休むようにしています」
痛みを伴う一人ひとりの声が、社会の空気を変えていく
沙緒里さんとパートナーのように、自分に何かあったときは助けてもらう、自分が元気でいられるときは助ける、そういう循環が働く場所や社会の中で巡っていったなら。そんな言葉を漏らすと、沙緒里さんは社会に対する想いについても語ってくれました。
「私が一番やりたいことは、社会の空気を変えていくこと。不妊治療や闘病、負の経験を心の傷としてひた隠しにして、“なかったこと”や見えないものとして蓋をしてしまうのではなく、その経験こそがシェアされていく世の中になるように。誰だっていつ当事者になるかわからないんだから。不妊治療や流産、闘病が大ごとではなく、特別視されない社会の空気をつくっていきたいですね。
当たり前にあることが前提の世の中であれば、社会システムの中で当たり前に守られるし、しんどい渦中を超えたら当たり前に戻ってこられる。腫れ物に触る感じではなく、よく乗り越えたね、経験値を上げたね、ここからまたよろしくねって。人材業界ではレジリエンス、逆境や困難を柔軟に乗り越える力が重視されているけれど、何らかの当事者経験がある人こそ一種のレジリエンス人材であり、それだけで価値があると思うんです。だからこそ、個人の負の経験として内に押し込めるんじゃなくて、その集合知がちゃんと社会に還元されて循環する世の中にしていきたいと思っています。“生きづらさ”も包含して生きていけるやさしい社会にね」
だからこそ、UMUはこれまで実名、顔出しにこだわり、不妊治療や闘病、流産・死産や子どもとの死別、トランスジェンダー夫婦や特別養子縁組家族……表立って見えにくいさまざまな当事者の物語を、かたちにして届けてきました。
UMUの誕生から4年。まだまだ“当たり前”ではなく、ちょっと勇気がいるけれど、少しずつ、「私だけじゃないんだ」「声を上げていいんだ」──そんなふうに思える空気が、漂い始めているようにも感じます。
「まさに今は空気の変わり目だと感じています。声を上げたって何も変わらない、傷つくだけだと思っていたことを、恐る恐るテーブルに上げてみたら、聞く耳を持ってくれた、一緒に声を上げてくれる人がいた。UMUがそうだったように、同時多発的にいろんなところで、勇気を出して声をあげた人に賛同するように、実は私も、と声を上げる人たちが増えていく。連鎖して声が上げやすい空気になって、集積されれば、現実のルールや仕組みを変える力になる。
だからこそ、もちろん無理をする必要はないのですが、もし言えるタイミングであるのなら、自分一人で抱えている悩みを誰かに伝えてみる、発信してみる、職場で相談してみる。その一人ひとりの声が社会の空気を変えていくんだと思います」
でも、それだけでは足りない──。その声を受け止める側の意識を変えていくためにも沙緒里さんは、企業に出向いて研修や講演を行い、管理職や潜在当事者・支援者層を中心に“サイレント・ダイバーシティ”についても訴え続けています。
「やっぱりみんながみんな、声を上げられるわけではないので。国籍や障害の有無、見えやすい属性だけでなく、不妊や介護や性別特有の不調など、本人も語りづらい、沈黙してしまうダイバーシティが無限にあるんですよね。まずは知ること。本人が語らずとも、そういう人が身近にいる可能性が大いにあるという多様性に関する知識や、相手を知ろうとする興味を持つことが、歩み寄る第一歩だと思います」
消えることのない痛みとともに、変わり続ける自分の今を積み重ねる
生理にPMS、妊娠出産、子育て、介護、更年期。ライフステージを通じて病気や障害のリスクとともにありながら、自分の意思だけではどうにもならない壁にぶつかることもある女性の人生。自らが辿ってきた道のりを振り返りながら、沙緒里さんはこんなメッセージをくれました。
「私もそうでしたが、バリバリ仕事をこなして自分でコントロールすることに慣れている女性ほど、過去の自分が思い描いた人生プランに縛られてしまうと思うんですよ。でも、人生ってほぼほぼプラン通りにはいかないから。立てたプランを自分自身が柔軟に変え続けていくことに、許可を出してあげてほしい。一番大事なのは、自分が生きている今。昔の自分が描いた夢を今の自分が叶えようとしなくてもいい。プランは手放していい。自分の幸せのかたちはいつだって変えていいんですよね」
がんの宣告から5年経った今。沙緒里さんは闘病も不妊治療も「まだ完全には乗り越えていない」と言います。
「あのときの経験がなければ今の自分はないと思うし、人生の転換期ではあったけれど、乗り越えたとは言えないかな。自分の身に起きたことや苦しかったことをなかったことにはできないから。でも、それでいいんですよね。痛みとともに生きていくことが人生だと、今は心から思っています」
働きながらの闘病と不妊治療。負の経験を“なかったこと”にしない──。沙緒里さんは、そのとき感じた痛みと苦しみを当事者として今も持ち続け、社会の空気を変えていくための原動力にしているように思います。変わらない芯を持ちながらも、柔軟に変わり続けることを拒まない。その姿勢に、沙緒里さんの「私のバランス」がありました。
沙緒里さんは今も、傷ついたあのときの自分とともに、一人ひとりの声を掬い集めて、社会に投げかけています。
(おわり)
text by 徳 瑠里香 photo by 安田 菜津紀, 望月 小夜加, よしおか ゆうみ, 他ご本人提供
西部 沙緒里
株式会社ライフサカス代表
博報堂を経て2016年に創業。「働く女性と健康・生殖」をテーマに、現代女性がライフステージで直面する生きづらさ・働きづらさを支援。 不妊、産む、産まないにまつわるリアルな体験を伝えるWebメディア「UMU」運営。 企業・自治体・学校向け研修・講演・アドバイザリー等の実績多数。 ビジネス・メンタルコーチ、ウィメンズキャリアメンターとして個別相談も行う。 個人では、働き盛りの女3人でポッドキャスト番組「edamame talk」も放送中。2児の母。 https://www.edamametalk.com/