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柿の木便り

原料となる柿の皮も農家さんの“手づくり”。豊かさが循環するフェミニンケア製品を。

『明日 わたしは 柿の木にのぼる』の製品には、古来から生活に取り入れられてきた柿の果皮から抽出された成分が配合されています。原料となるのは、福島県国見町の特産品「あんぽ柿」をつくる過程で生まれる柿の皮。
提供してくれているのは、国見町で桃とあんぽ柿を生産する農家さん。フェミニンケア製品をつくっていく上で、欠かせない存在です。
国見町の畑から、大切なパートナーである農家の鈴木耕治(すずきこうじ)さんと惠子(けいこ)さんのお話をお届けします。


自然の力と“人の手”が掛け合わさって生まれる果実

福島県国見町で、春から夏にかけて桃を、秋から冬にかけてあんぽ柿を、丹念につくり届けている耕治さんと惠子さん。
お話を聞いた3月下旬は、4月以降の桃の開花に向けて、蕾を一つ一つ摘む作業で大忙し。たわわに桃を実らせるためには、自然と呼吸を合わせながら、手塩にかけることも欠かせません。




「ぜーんぶ花を咲かせると桃がおっきくなんねえの。1本の木が土から吸収できる栄養分は決まってっから。そのまま花を咲かせると桃の実がちっさかったり味が薄かったりする。なあんにもしなかったら3万個くらいなるところを手作業で500個にしてんの。きれいな美味しい桃がなるように」
桃の木を植えて3年、枝を剪定し、蕾を積んで、花が咲いて散ったら、桃となる小さい実を落とす。季節をめぐって1年中、木の成長の過程で、収穫するその日まで“人の手”による農作業が行われています。その年の気候、その日の天気に合わせて、その時々に必要な手作業を加え、桃を一つ一つ大切に育てているのです。



「年中構わないと病気と虫にやられっから。剪定して養分を肥やして病気に負けない体質ってか木づくりをしなきゃいけない。これが大変なんだよ。あとは、ピンクになって柔くなる直前に収穫することも大事。タイミングを逃したらだめ。木の大きさにもよるけど、収穫できんのは10日から2週間くらいだから、時期が来たら雨の日も畑に出て毎日収穫すんの。ピークのときは1日3000個くらいね」

めぐる季節と太陽とともにある、農家の仕事と暮らし

あんぽ柿の素材となる渋柿、平核無柿や蜂屋柿も桃と同じように丹念な手入れのもと栽培されます。さらに収穫後、枝の部分を残してヘタを取って皮を剥き、カビや変色を防ぐために硫黄で燻蒸し、紐に吊るして干場で40日〜50日程度、水分が50%ほどになるまで自然乾燥をします。こうして、羊羹のようにとろりと柔らかく濃密で甘い「あんぽ柿」は出来上がるのです。



美味しい桃とあんぽ柿をつくるために手間を惜しまないふたり。自然の力だけでなく、人の手による丁寧な仕事があってこそできるもの。実際に同じ国見町で、同じ土、同じ気候、同じ品種であっても、育てる農家さんによって味は変わってきます。それでも耕治さんは「お天道さまが育ててんの」と言い切ります。 「難しいのは、お天道さまと樹木の関係を我々人間が完全に把握できてないこと。桃も柿もお天道さまがつくってっから。花が散って葉っぱが出てきたら、葉に太陽が当たることで光合成をして根っこに養分がいって、根っこが畑の土から養分を吸って、木を育て実を育て美味しい果実がなる。そんときにたとえば、葉っぱに太陽が当たるように剪定するのが農家の仕事さあ」



めぐる季節と太陽とともにある、ふたりの仕事と暮らし。冬場は、朝8時から日が暮れる17時頃まで、夏場は朝4時から太陽が昇りきる11時まで、畑に出て農作業をしています。 「太陽が昇ったら動いて、沈んだら休む。雨が降ったら休み。いつもお天道さまと一緒。夏場は日中暑くて働けねえけどな」

養蚕業から果実栽培へ。国見町とともにある歩み

農業を生業にして50年以上。御年70歳の耕治さんは、福島県伊達郡国見町で、百姓として農作物をつくり、養蚕業を営む家に生まれました。伊達地域はかつて、奈良・平安時代から養蚕業で栄えていたのです。ところが昭和40年代頃から、化学繊維の普及や中国産の安価なシルクの輸入によって衰退。時代のうねりの中で、先を見つめた国見町の人たちは、果物を育て始めたのです。




「うちも昭和40年くらいまでは蚕をやってました。この辺の人らはみんな、蚕と並行して桃とさくらんぼの木を植えた。さくらんぼは虫に食われて産地にはならなかったけど、桃はこの土地にあってた。柿も育ったし、蚕を絹にする作業場は通気性がいいからあんぽ柿をつくるのにも都合がよかった。昔は、百姓ってことで自給もするから、田んぼも野菜もなあんでもやってたけど。親父の代から桃とあんぽ柿になった」



幼い頃から家業を手伝い、福島県立農業短期大学で学んだ耕治さんは、20歳の頃、アメリカ・カリフォルニア州へ2年間留学。 「アメリカで農作業全般を学ぶ研修があったから、応募したんだあ。留学っつうか出稼ぎだな。りんごつくったり、トマトや玉ねぎの収穫したり。50年前のアメリカは今の日本に近くて、核家族だったし、大型トラックで流通してたし、びっくりした。こっちは大家族で、移動も汽車だったから。でもアメリカの農業は効率よく大量生産するために、草刈り機みたいな大きい機械で剪定してて仕事が雑。取り入れようとは思わなかった。雑な農作物をつくっても日本では売れないから。きめ細やかな仕事は日本の方が進んでると思ったさあ」



一方惠子さんは、福島県浪江町に生まれ、農業に興味を持って耕治さんと同じ短大を卒業。OBの紹介でふたりは出会い、結婚。以来、二人三脚で桃とあんぽ柿をつくり続けています。

もったいない地域資源に価値を見出し、求められる場所へ

雨の日以外は休むことなく手を動かし、経験から培ってきたたしかな技術で、誠実に、丹精込めて桃とあんぽ柿をつくっているふたり。それでも自然災害や風評被害などによって収入も安定しないこともあります。
「東日本大震災があった年、前の年は桃30個一箱2500円で売れてたのが250円になった。原発の風評被害で。どうやって暮らしてくかって話よ。結果的に差額分の保証はしてもらえたけど、どうなるかわからないから心配だった。柿は今も放射能検査をしてるけど、風評被害はまだ続いてる。放射能の影響を受けているのは福島だけじゃない。そう考えると逆に、検査をクリアにしている私たちの果物はより安全だと思います」
また、日本の農産物には「規格」があって、色味や大きさ、熟度、それらが揃っているか、痛みや傷がないか、見た目に対する基準によって価格が決まり、中には出荷できないものも出てきます。




『明日 わたしは柿の木にのぼる』を展開する株式会社陽と人は、傷がついていたり、熟れすぎたり、ちょっとした理由で流通できいない「規格外」の桃を都市部へ届ける独自のルートをつくることから始まりました。見た目はイマイチでもたしかな味を手に取りやすい価格で購入できたら消費者も嬉しいはず。市場に流れないもったいない地域資源を活かして、実直な国見町の生産者の所得を少しでも向上できるように、と。 「収穫した桃を選果場で箱詰めしてもらって東京や北海道に出荷すんだけど、1割5分くらいは『規格外』が出るんだよ。そっから東京に持っていけそうなものを持っていってくれるのが味愛ちゃん。最初、『規格外の桃が欲しい』って言うから『なにすんだ』って聞いたら『東京持ってて売るんだ』って。『なあに冗談言ってんだ』って思ったけど、ほんとに売ってんの。びっくりした。ものすごいんだ、馬力が。それまではネクターつって規格外の桃はジュースにしてたんだけど単価が安いから。それより高く持ってってくれっから助かってる。おかげで毎日の晩酌のお酒が1合だったのが2合飲めるようになった。有言実行、だから信用して付き合ってんの。感謝してる」



陽と人が次に取り組んだのが、地域に眠る資源に新たな価値を見出し、商品の開発・販売をすること。それが、あんぽ柿をつくる過程で廃棄してしまう柿の皮を主な原料としたフェミニンケアブランド『明日 わたしは 柿の木にのぼる』です。 「今度は『柿の皮が欲しい』って言うから『なにすんだ』って言ったら『コスメつくる』って。ふざけてるのかと思ったよ。皮はそれまで畑に捨ててたから。そりゃそうでしょ。でも、皮持ってて何千本もコスメつくって売ってんだから。買ってくれる人がいるのはありがたいね。5年後もっと成長するっつってるから期待してる。そうなったら晩酌のお酒、ワインにするよ」



桃の花が咲く春、柿の皮の成分を配合する『明日 わたしは 柿の木にのぼる』のアイテムに、新しい仲間が加わりました。デリケートゾーンをさわやかに保湿する「フェミニンセラム」です。夏のはじまり、とりたての国見町の桃をセットでお届けするプランも含む、クラウドファンディングを実施中。こちらもぜひ、のぞいて見てください。 【明日 わたしは柿の木にのぼる】すべての女性に、わたしらしく生きる新習慣を。 デリケートゾーン専用セラムをお届けします。

text by 徳 瑠里香