Web Magazine
柿の木便り
環境変化が主な要因で男性もなり得る「産後うつ」。予防するためにできること
「明日 わたしは柿の木にのぼる」では、『はたらく女性の心と身体FACTBOOK〜未来のわたしに、今のわたしができること〜』という小冊子を作成しました。生理から妊娠・出産のしくみ、流産、不妊、更年期、デリケートゾーンのケアまで。わたしたちも学びながら、「知りたかった!」女性の心と身体のあれこれをまとめています。 このWeb magazine「柿の木便り」では、専門家へのインタビューを通して、紙面で展開した内容をさらに深堀していきます。 第一弾のテーマは、「産後うつ」。小冊子の監修を務めてくださった産婦人科医で医学博士、広尾レディース院長の宗田聡先生に、産後のメンタルヘルスについて、お話を聞きました。
憂うつでなにもかもに興味がわかなくなる。女性の約15%が産後うつに。
ー「産後うつ」とはよく聞きますが、具体的にどんな状態を指すのでしょうか? 産後うつとは、産後1ヶ月以降にあらわれるうつ状態のこと。日本では約15%の女性が産後うつを発症し、約30%が産後にうつの症状に悩まされていると言われています。 現在、産後うつの早期発見と適切な支援をするために、産後検診では、EPDS (エジンバラ産後うつ病質問票:Edinburgh Postnatal Depression Scale イギリスの精神科医John Coxらによって産後うつ病のスクリーニングを目的としてつくられた10項目の質問票)に応えてもらっています。ただEPDSはあくまでスクリーニングが目的なので、点数が高いからといって産後うつと診断することはできません。精神科医が基準にのっとって診断し、産後の「うつ病」とされます。 うつ病の診断基準となる症状は、大きくはふたつ。憂うつな気分になることと、なにに対しても興味が持てないことです。小項目として、食欲がない、食べすぎちゃう、眠れない、焦りがある、無気力になる、疲れやすい、思考力や集中力がなくなる、自殺願望がある、といったものがあります。それらの症状のいくつかがほとんど一日中、2週間続き、仕事や家事など日常生活に影響がある場合、うつ病と診断されます。
思い通りにならない赤ちゃんの子育て。大きな環境変化が産後うつの引き金に。
ー「産後うつ」というくらいなので、産後はやはりうつ病になりやすいのでしょうか。 はい。うつ病の発症の原因は正確にはわかっていませんが、なりやすい傾向として、本人の性質と環境に起因すると言われています。 まず、もともとの性格として、ドイツのテレンバッハが提唱した「メランコリー親和型」と呼ばれる、真面目で几帳面で責任感が強い人ほどうつ病になりやすいということがわかっています。つまり、仕事や家事育児において、自分のキャパシティをオーバーしていても、手を抜くことも人に頼ることもできずなんでも完璧にこなそうとがんばりすぎてしまう。それで、うまくいかないことから自分を責めてしまい、うつ病になっていくのです。 次に、大きな環境変化による不安と孤独、自信喪失と孤立感の深まりです。こうした状態に産後は陥りやすいため、うつ病になりやすいんです。産後は赤ちゃんとの新しい生活が始まって、どんな人であっても環境が大きく変化します。初めての育児に不安と孤独を感じて、「親なんだから」と気負い、思うようにいかないことで自信をなくし、サポートが得られず孤立してしまう。そこから「すべてができていない」と思い、「この状態がずっと続く」と絶望し、「わたしが悪い」と自分を責めて、うつ状態になっていきます。
男性も産後うつになる。産後の心身の回復に10ヶ月が必要な女性にはさらなるリスクが。
ー第一子を出産したとき、目の前にいるふにゃふにゃの赤子のいのちを守らなければ!と使命感に駆られながらも、これでいいのか不安で、夜泣きと授乳で十分に眠れない日が続き、身体的にも精神的にも追い詰められて、涙が出てきたことがありました。 産後は誰しも環境が変化するし、初めての子育てにプレッシャーや不安を感じますよね。よく産後うつは女性ホルモンが関係していると言われますが、育児をしている男性も産後うつになることがわかっているんです。 厚労省の国民生活基礎調査(2016年)をベースに、産後1歳未満の子どもがいるふたり親家庭3514世帯を解析したところ、お父さんの11.0%に精神的な不調のリスクがあるとされ、お母さん(10.8%)とほぼ同水準であることが判明しました(国立成育医療研究センター研究所 政策科学研究政策開発研究室室長、竹原健二氏らの研究より)。つまり、女性ホルモンの分泌量の変化に関係なく、男性も女性も、産後は大きな環境変化が要因で、うつ病になるリスクが高まるんです。 ーへえ、男性も産後うつになるとは!これからもっと男性の育休取得が進んでいったら、より男性の産後うつも増えていきそうですね。とはいえ、産後の男女には身体的な面での負担には違いがありますよね? おっしゃる通り男女の違いは、身体的な負担で、それが精神的負担にもつながっていくことですね。よく妊婦さんには、妊娠から出産まで10ヶ月かけて身体は変化していったので、同じ状況に戻るまでには同じだけ時間がかかりますよ、と言っています。産んで1ヶ月、2ヶ月で身体は妊娠前と同じような本調子にはなりません。体力が落ちて疲れやすかったり、分娩方法によっては会陰や腹部の傷口が痛むこともあるでしょう。 赤ちゃんのお世話によって、身体に変化のない男性でさえ産後うつになるくらい大きな環境変化があるんですから、心身がままならない状況の女性はよりそのリスクが高くなりますよね。ある意味みんななってもおかしくない。実際に7〜8割くらいの女性が産後うつの手前の状況にあるとも言われています。
孤立しない・させない。産後うつを予防するために、子育て環境を整えていく
ー誰にでも産後うつになるリスクがあるわけですね。産後うつを予防するために、妊娠中から事前準備としてなにかできることはあるのでしょうか? 産後うつになる一番の要因は環境の変化なので、そこに備えて可能な限り環境を整えておくことですよね。子育てはひとりでできるものではありません。なんでも自分でやろうとせず、周囲の人の力を借りて、無理のない環境で子育てができるのがベストです。パートナーはどれくらい関われるのか、親など身近な人にどれくらい頼れるのか。自治体にどんな支援制度があるのか、民間のサービスにはどんなものがあるのか、それらをどれくらい利用するのか。そういったことを確認したうえで、可能な限り、自分ひとりで子育てしない環境づくりをしておくといいでしょう。 ー産後にできることや心がけておいたほうがいいことはありますか? 子どもは思い通りにならないし、すべてを完璧にやろうとしなくていい、ということです。子育ては事業とは違いますから、計画通りにいかないし、思っていたのと違ったと思うことも多々あるでしょう。赤ちゃんも成長していきますから、大変な状況はずっと続くわけではありません。新しく親になった人にとって、疲れや集中力の低下、不安な気持ちはあって当たり前。環境は大きく変化していますから、これまでと同じようにできなくても、そういうものだと受け止めて、自分を責めないでください。 ー子どもはみんなで育てるという意思を持って、周囲の人に頼りながら、産前産後にわたって環境づくりをしていくことが大切ですね。周囲で関わる人として、できることはありますか? 大事なのは、孤立させないこと。話し相手になったり、少しの間赤ちゃんを預かって、子育てから少し離れてゆっくり自分を労わる時間をお母さんに与えてあげられるとよいでしょう。 世界一安全にお産ができる日本で、母体死亡の一番の原因は「自殺」です。国立成育医療センターが発表した妊産婦の死亡に関するデータによれば、産後1年未満の母親の自殺は2015〜16年の2年間で92例。最も多いのが生後7〜9ヶ月で、「35歳以上」「初産婦」「ひとり親」ほど自殺率が高くなっています。周囲からの十分なサポートが得られず「孤育て」になることが、産後うつによる自殺のリスクを高めてしまうとも言えるんですね。 国立成育医療センター人口動態統計(死亡・出生・死産)から見る妊娠中・産後の死亡の現状 ※2015-2016年のデータ。 ー医療の発展によって産むまでの安全性が高まる一方、今後はより産後のケアや支援を手厚くしていく必要もありそうですね。 それなりにお金がかかるので誰しもが利用できるわけではありませんが、産後のケアホテルも少しずつできています。授乳のサポートや胸のマッサージ、沐浴指導を受けたり、夜間に赤ちゃんを預かってくれたり、ご自身のケアとしてのオイルマッサージなどのリラクゼーションを提供しているところもあります。最近では、そうした産後ケア施設の利用に対して、条件に応じて助成金を出している自治体もあります。日本ではあまり産後ケアに重きが置かれていませんが、産後はうつ病の予防や体力回復のために、かけられる人は多少お金をかけてでも、本来は赤ちゃんだけでなくご自身のケアも大事にするべき時期なんですね。 親がうつ病になってしまうと、それこそ子育てにも興味や喜びを失ってしまうので、子どもにも影響が出てきてしまいます。産後うつは、早期発見できれば支援を得て、環境を整えることで予防することもできますし、軽度のうつ病であれば1年以内に自然に治っていくことも少なくありません。 ー誰もがなり得ることを前提に、孤立しない・させない子育て環境をつくることが、産後うつを予防する重要な鍵になりますね。
text by 徳 瑠里香 illustration by 遠藤光太
宗田聡先生
医学博士
広尾レディース院長、茨城県立医療大学客員教授、東京慈恵会医科大学産婦人科非常勤講師。日本産科婦人科学会専門医、臨床遺伝専門医・指導医、産業医、アメリカ人類遺伝学会(ACMG)上級会員(Fellow)。日英論文多数、専門書(翻訳)執筆にも定評があり、一般誌やWEBなどで女性の健康に関する記事を多数執筆。著書には、『産後ママの心と体をケアする本』『産後うつ病ガイドブック』『これからはじめる周産期メンタルヘルス』『31歳からの子宮の教科書』など。